2017年の”恋愛”を通して過去を振り返る

2017年、初めてどうしようもなく惹かれた。

 

”恋愛感情”を感じた数はそんなに多くないけれど、”恋愛感情”がなんなのかは、これまで何度も何度も考えてきました。

2017年の恋愛を振り返る前に、過去をざーっと思い返してみます。


世間一般でいう”恋愛感情”が分からなくて拗らせたターニングポイントは、大きく分けて3つ。


①「恋人」に憧れ、「関係性」に依存した中学3年生
②「好き」が分からない高校時代
③「焦り」と「自暴自棄」の大学2年生


この3つが、恋愛観の狂いから生まれた拗らせターニングポイントです。


①「恋人」に憧れ、「関係性」に依存した中学3年生


恋愛観拗らせの経緯、始まりは中学3年生。相手は、野球部のキャプテンでした(以降野球部男子は地雷に…)


その人から、ある程度好かれている確信があり、私から告白。
大して好きではないのに、恋に恋をしたかった私は「付き合えば愛される」と誤解していました。


中学生って、少女漫画が爆発的に流行って、「好きな人がいて当たり前」みたいな風潮がありますよね。憧れから、「恋人っぽいことがしたい!」お年頃でした。


しかし運が悪いことに、私が選んだ相手は、「好かれていて、付き合っているという事実は欲しいけれど、本命は他にいる」という人でした。
こちらは「恋人っぽいこと」を求めていたから、ある意味お似合いだったのかもしれません。


私の行動は空回りばかりで、定義づけただけの形骸化した関係。最終的には関係性のこじつけ>>>事実 になって、どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。
私は言葉に縛られて、不信感ばかり募らせていました。相手は他に本命がいた、というオチには、当時もなんとなく納得。それくらい、薄~~~い関係でした。手すら繋いでません!


当時、西野カナさんの曲が大流行していました。私の心境も西野カナライズされていてそれはもう… 携帯メモのポエムを数年ぶりに発見してしまったとき、あたり一面カオスが広がっていて携帯逆パカしそうになりました、マジで。


名ばかりで、お付き合いしたとはカウントできない過去です。


②「好き」が分からない高校時代


高校時代は、好きな人がいませんでした。


自分を好いてくれた相手を好きになりたくて曖昧な態度をとり、関係を拗らせました。

 

その相手とは同じ部活内で、私は部長、相手はパートリーダー。立場上話す機会も多く、特にコンクール期間は避けようがありませんでした。

 

2年生の6月、突然の告白。全くなんとも思っていなかったため、友達からのスタートでよろしくと…そのはずでした。

 

全国大会を目指すバリバリに熱い部活で、時には愚痴を言い合い、励まし合いながら夏を乗り越えました。苦難を共にし、情は湧いていました。


が、しかし、どうしても、相手を異性としては好きになれませんでした。


2年生の冬頃。徐々に、触られたり、手を繋ぎたいと言われたりするようになり、耐えられなくなりました。
帰りの電車で待ち伏せ、一方的な長文のメール、私が避けていると機嫌が悪くなりパート練習に支障をきたす…など、見え隠れするストーカー気質と重さが怖かった。そこも、好きになれなかった理由です。


コンクールや演奏会が一通り終わってから「異性としては好きになれない」と改めて宣言。


案の定関係が崩れ、懸念していた部の練習にも影響が出て、悲しかったです。相手は、3年生になると部活を辞めてしまいました。
しまいには「悪魔のような女だ!開けてみたらパンドラだ!」と言われ、この人と付き合わなくてよかったと心底思いました。


相手の好意をそのままにして、思わせぶりな態度で相手を深く傷つけた… 教訓になりました。
断る時は、潔く。最初から曖昧にしないのが一番だと知りました。周りを巻き込んで悲劇を生んでしまった後悔、今でも少しあります。

 

ついぞ、高校時代は好きな人ができませんでした。怖いほど好かれましたが、恋人のそれとは違いました。怖かった。

 

③「焦り」と「自暴自棄」の大学2年生


大学2年生、そろそろ二十歳。「5年後には孫/曾孫が見られるかしら?」なんて、家族に言われるような歳です。


それなのに、まだ、”恋愛感情”はピンと来ていませんでした。


恋愛は少女漫画やドラマ、乙女ゲームの中だけの話であって、私は異性に夢を見ているだけだと思っていました。中学生の頃までは、無邪気に夢を見ていたはずなんです。


大学生になってやっと、異性から性的な目で見られることを理解しました。周りの友人達も、いつの間にか、セックスありきの付き合いをするようになりました。
これから異性と付き合うことになったら、セックスは避けて通れないのだろうなと、不安でした。


私にとっては優先順位が低いけれど、相手はそうじゃないかもしれない。この歳で拒んだら嫌われてしまうのだろうな…どうしよう!って。漠然とした不安と焦りを感じていました。


「私は、異性を好きになれるのだろうか?」「そろそろ恋人を作った方がいいのではないか?」
大学2年生、恋愛に対して臆病な自分を変えたくて、出会いの幅を増やしている時期でした。


そんな矢先、好意を持ってくれる年上の男性と出会いました。


もしかしたら好きになれるかもしれない!男の人との付き合い方がわかるかもしれない!と、希望を持って。


不安半分、好奇心半分で、いけるところまで試してみました。


結果、ダメでした。好きになれませんでした。


正直に「好きかどうか分からない」と伝えると


「一緒にいるうちに好きになるよ」


「触っても嫌じゃないんでしょ?もう絶対俺のこと好きだと思う」


「ハグすると幸せを感じるようになるよ」


との返答。


過去にまともな恋愛経験がなかった私は、当然、そんなの分からないんです。


どうしたら、どういう風に好きになるのか、疑問でした。そういうものなのかな?最初はそう信じていました。
相手に求められて悪い気はしない。かといって、スキンシップで幸せは感じない。一緒にいてもそんなに楽しくない。嬉しくない。疑念と疑問ばかり。


2ヶ月のうちに数回、デートもどきをしましたが、貞操観念の価値観が合わなくて関係を断ち切りました。


付き合わず、最後まで手を出されずに離れられてよかった…と思うばかり。
恋愛に不慣れな未成年の女子大生をホテルに誘う年上男性、という時点で気持ち悪かったのに、私は一体どうして我慢していたのか!!


一年前の世間知らずな私が、無事でよかった。早めに失敗しておいて良かったです。危うく、一生の後悔になるところでした。

 

 

以上3つのターニングポイントが、私を少しずつ変えていきました。
抽象化すると、こうかな?


①「恋人っぽい」ことに憧れただけの、形骸化した虚しい関係
②相手の気持ちに応えたいという呪縛
③人並みを求め、まともな恋愛をしたことがない自分の否定

 

①+②+③の順で重なっていって、重ねる度に苦しくなりました。


すべてに共通しているのは、『無理に誰かを好きになろうとしていた』ということ。


こうしてまとめてはいるものの、拗らせた恋愛観を克服したというわけでもなく、どこかに過去のアレソレを抱えながら生き方を模索している最中です。


ただ、一つだけ確信を持てるのは…


なんとなく寄ってきた人ではなく、自分の気持ちを大切にして、自ら引き寄せた人と過ごす方が私には向いているということ。


一緒にいたいと思える人と一緒に過ごそう!を主軸にするようになってから、苦しさが減っていきました。

 

2017年は、「誰かを好きにならなければ…」という強迫観念に駆られずとも、好きになれた相手がいました。


自然と惹かれて好きになって、一緒に過ごして幸せで、自分から触れたいと思えた人でしたね。懐かしい。


残念なことに、この人とは早いうちにお別れしてしまい、”普通の恋愛”はできなかったのかもしれませんが、自分も人を好きになれるのだという自信がつきました。


これまで生きてきて、”恋愛感情の好き”が分からなかったんですが、おそらく性欲とやらも込みで、いろんな要因が重なって、異性に惹かれた自分に驚きです。

 

次の記事で、詳しく書き残したいと思います。